終末のヴァルキュリア 第六十五話 青春時代②を更新しました。

2020年6月13日

 夏もまっ盛り、熱に包まれる県民体育場、多くの高校生の白い制服が観客席で目に付く。その中僕は白シャツを汗でにじませながら、今日のヒロインの出番を待っていた。会場のアナウンスで予選が行われていると知ったので、彼女も出るはずだ。

 40分ほど僕は待った、順番通りにスタートの空砲の音が鳴り響き、陸上着を着た女子が開始の合図のもとに真っ白のゴールラインを目指して、遮二無二に汗を輝かせていた。おそらく100メートル走の予選が始まっているのだろう、上から見た感じでは運動場半周ぐらいだ。

 選手たちは、ゴールを切った瞬間、ある者は汗がある者は涙が、太陽の日差しにさらされてきらきらときらめかせていた。僕はそれを何か落ち着かない気分でぼんやり眺めていた。

 スタートラインによく知った艶やかな黒髪を風になびかせながら、軽く屈伸運動をする女の子がいた、日向さんだ、彼女の瞳はまっすぐゴールを見つめていた。その瞬間僕は不安に駆られた。

 泣き崩れる女子、それを慰めるコーチ、そのひと時は本人にとっては青春でありながらも、彼女が涙を流すと僕にとっては心に傷ができる。言い知れぬ挫折感、知り合いが涙を流したとき、僕の心は果たして平常でいられるのだろうか。

 しかし彼女は冷静であった、肌を切り刻みそうな太陽の熱視線にさらされながら、静かにクラウチングスタートの構えでぴったりとラインに合わせて手足を地面に落ち着ける。よーいの掛け声に一斉に、12人の選手が腰を上げた、僕が固唾(かたず)をのんで見守る会場に空気を破る音が鳴り響いていく。

 その時日向さんは一迅の風となった。彼女の決して大きくない体躯をまるで機械のようにリズミカルに手足を動かし、胸を小刻みに震えさす、その力は決して頑なにではなく、しなやかにまるで規則的に躍っているようだった。

 その迫力に僕は圧倒され、胸が押しつぶされたようであった、まさに大輪の花が咲き乱れる様に、心が取りつかれて、彼女が胸を左右に揺らすとき、どくどくと大量の血が僕の心臓に送り込まれた。

 僕と日向さんが一体であるように感じられた。彼女が呼吸するたびに、僕は息を吐き彼女は息を吸うと、僕の体の中に暖かい空気が流れ込む。レースはあっという間だった、彼女の体がゴールラインを割ったとき、人10人分の距離が二位と開いていた。完勝だった、この会場で日向さんが世界で一番強さを持った、チーターであることを感じない者はいないだろう、そのくらい圧倒的であった。

 僕は思わず大きな声を上げ日向さんの名前を呼んだ。その声に気付いたのか彼女は満面の笑みを浮かべ、一人ピースマークをこちらにプレゼントしてくれた。あまりにも眩しくて、僕は体が火照ったように、恥ずかしくなってきた。

 日向さんは美しかった、僕じゃなくても同世代の男なら、彼女の笑みを見たら、ときめかずにいられようか。決勝者にふさわしい、メンタルと強さと、可憐さを生まれながらにして身に着けていた。

 それから幾グループの競争者が、走ったか記憶にない、僕は彼女のことばかり考えていた。彼女が決勝に出ることは間違いない、あの娘がまた一人っきりのゴールを楽しんだら僕はなんと声を掛けたらよいのか、そして声をかけたとき普通の男子生徒として声をかけていいものかとためらっていた。

 すっかり魅了されてしまった僕は時が流れていたのに気づいていない、現実感を取り戻したのは「次は100メートル走の決勝です」とアナウンスが流れた時だ。もちろん、ファイナリストに彼女はいた。

 ショートカットを軽く揺らす女の子は、さも今戦いが始まったかのように平然としている、何か妙な安心感があった、きっと勝利の表彰状を手にするのを欲しがっているのだろう、だがレースが始まる途端に僕は臆病になってしまった。

 決勝戦はもちろん中学三年生ばかりだ、一回り体の大きい女子に囲まれた日向さんははたから見ると心細く思えてしまった、あの娘の体躯でこの中で一番をとれるだろうか、不安は尽きない。あれこれ考えて気を散じているうちに、スタートののろしが上がった。

 日向さんは一気に一番に躍り出た。最高のスタートを切ったのだ、周りの女子をどんどん放していく、しかし、僕の緊張感はまだ解けない、後ろのポニーテールの猛獣が彼女の背中に合わせて、狙いを定めているように思えた。

 レースの中頃、ポニーが一気にまくった、そのどう猛さは野生の虎のごとく荒ぶるように大きな手足を振って日向さんにどんどん近づいている、危ない──

 日向さんは気配に気づいたのか視線を後ろに持っていった、彼女の意に反して空気が押し潰されるようにその距離の差は片手ほどもなかった。危険を察知しスピードを速めたがその勢いに飲まれてぴったりと横並びに二人はなった。

 残り10メートルほど、祈るしかなかった、彼女の呼吸が乱れていく、これが決勝の悪魔というものか、なぜ神は勝たせてあげないのか、ただでさえ小さな彼女の体がさらに小さくなっていく、結局先にゴールラインを割ったのはポニーの虎であった。

 日向さんは茫然としていた。何故こうなったのか理解できない様子で、悔しい二位の座についてしまった、そのあとは僕にはわからない、とっさに会場から外に出てしまったからだ。見ていられなかった。

 言い知れぬ挫折感に僕は苛(さいな)まれていた。何かぽっかりと心に穴が開いたように県民体育場の外のベンチでただ、コンクリートの地面を眺めていた。

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「佑月、偉いね」
「今日も百点じゃないか、いい息子だ、だれの子供か? 俺の子供だ」
「うん、パパ、ママ、ボク、絶対金田幼稚園にはいる!」

 ふと幼い時の記憶がよみがえった。僕がまだ四歳のころ、親の期待と愛情を背負って、厳しく育てられ、精いっぱい勉強して英語の点数を親に見せたころだ。金田幼稚園は地元の名門幼稚園で、子供の英才教育を行っている幼稚園であり、有名公立小学校に進学率90%を誇る。

 金田幼稚園は入園料が非常に安価で、貧乏な家庭はまず金田幼稚園に入って、公立の進学校を入って、国立大学の進学を目指す。まず一般的に貧しい家庭では授業料が払えない、日本には確実に学歴格差があり、その後の就職や人生が幼児のころから決まる。

 特に地方など独学で国立校に進学できるものは指で数えられるほどだ、それも家庭が貧しければ貧しいほど、参考書が買えないため、食費を削ってあるいはバイトしなければならないため、現実には学力に差が出て、立身出世できるのは稀だ。僕はそのことを親から叩き込まれて一心不乱に勉学に励んだ。

 その時は自分はえらくなれると信じていた、だが、幼稚園試験のその日、僕は母に連れられながら緊張で慣れない蝶ネクタイに首が絞められていた。足がガタガタと震え、何度もトイレに行った。親から、この機会を逃せば、お前はだめになる、これが最後のチャンスだと教えられたのだ、当然幼い僕はそれを信じて、いや、信じれば信じるほど足の震えが止まらない。

 筆記試験は上出来だと思っていた、だが親子面接の時だった。面接部屋で見知らぬネクタイをした初老の男につぶさにみられ、歯をカチカチとならしてしまって、言葉が出てこない。

「君、将来何になりたいんだい?」
「……」

 息が詰まる、何を考えているのか、それとも何も考えていていなかったのか質問に答えられない。

「こ、この子は、小さい時から飛行機が好きでパイロットになりたいと……」
「お母様にお聞きしているのではありません」

 正面隣の面接官の若い男が母の答えを遮った。
「ぼ、ボクは……」

 それっきり何も声が出なかった。時間だけが流れていき、「次のお子様がお待ちです、この度はありがとうございました」と帰らされた。当然僕は不合格だった。そして、その通知を受け取った父は僕を平手で殴った。

「馬鹿野郎、なんでこんなこともできないんだ!」
「お父さん!」

 あまりの父の態度の急変に僕は驚愕(きょうがく)していた。

「面接で落とされる馬鹿がいるか! 所詮お前はクズの子なんだな! 不合格なのも当然だ」
「やめて、子供にだけは手を出さないで!」

 その刹那、父は母をぶった。

「パパ!? ママ!?」

 父は鼻を鳴らして怒りが収まらない様子で、それを見た母は、

「佑月、外へ出なさい早く!」

 僕は走ってボロのアパートの外へ逃げ出した。どうしていいかわからずただ、「僕はクズなんだ……」と泣きながらつぶやいていた。

 それからというもの父は酔ってたまに殴ることしか自分と会話がなかった。母はあきらめた様子で、パートで稼いだ金を僕のゲーム代につぎ込んで、自分自身はただゲームをして家に引きこもっていた。この時からだ、僕は人生をあきらめてしまった。

「池田くーんどうしたの暗い顔して」

 思い巡らせていたとき、それを断ち切ったのは日向さんだった。恐る恐る目を上げると、小さな小さなおもちゃみたいなトロフィーを片手に、口を緩ませて僕を見つめていた、だが目は決して笑っていなかった。

「ほら、二位だよ、やったね、ねえ、私に何か声かけることない?」
「……」

「暗いなあ、友達は一年で二位ってすごいねってほめてくれたよ、コーチもね、いやあ、がんばったかいがあった──」

 明らかに空元気だ。その気持ちが痛いほどわかるから、何も言葉にできなかった。

「池田くんさあ、ほら頑張れば何でもできるって証明できたでしょ、元気だしてがんばろー」
「日向さんは……よかったの?」

 時が止まったかのようだ、彼女は唇をかみしめ苦々しくこう言った。
「……良いわけないじゃない」

「良いわけないじゃない!」

 その刹那、彼女は僕の胸に飛び込んだ。あまりの行動に何もできずにいた。

「……悔しいに決まってるじゃない!」

 僕の胸の中で震えた声で叫ぶ日向さん、その小さな少女に何の言葉をかけていいかわからず、ただためらっていた。

「日向さん、かっこよかったよ……」
「違うの、そうじゃない!」

 彼女は僕のほうに顔を向ける、目からぽろぽろと涙が零れ落ちていった。

「私ね、今日のレース勝てると思ったの。正直今も勝てると思ってる、私のほうが本当は速いと思ってる」

「──でもねっ!」

「でも、最後に並ばれた瞬間、私、怖くなったの、一人ぼっちで心細くて、どうしたらいいかわかんなくなったの! 私、あの人に負けたんじゃない! 自分に負けたの、それが悔しくて悔しくて涙が止まらないの!」

「日向さん……」

 僕は彼女の肩をつかみ、まっすぐうるんだ瞳を見つめた。

「日向さんは、今日の自分に負けたんだ、明日の自分に負けたわけじゃない」
「今日の……自分……?」

「そうだ、人なんて変わることができるんだ。今日と明日の自分が同じとは限らない、次勝てばいい、人生何度だってやり直しがきくんだから……!」

 それを誰に言っているか自分でわかっていない。ただ、この娘だけは、僕と同じ道を進んでほしくなくて、心から出た言葉だった。そのことを理解してくれたのか、ひと時驚いたようだったが、日向さんは涙を拭いて、

「君……やさしいんだね……」

 と微笑んで見せた。僕はそれに安どして、胸をなでおろす。そのつかぬ間。

「でもね、池田くん、言葉だけが、慰めになるとは限らないんだよ……」
「えっ……」

 正直、彼女の言っていることが理解できなかった。

「……ううん、なんでもない、そのままでもいいよ、でもねってこと! ふふっ」

 とりあえず、元気を出してくれたみたいでよかった。彼女は何を思ったのか、笑いながら僕の前を立ち去った。少し女の子はわけがわからないところがある。

 次の日、月曜日、僕は少し緊張していた。ああは言ったものの、日向さんにどう声をかけていいかわからない。

「おはよー、池田くん」

 日向さんは明るく、笑いながら教室に入って僕に話しかけたので、少し戸惑った。

「お、おはよ……」
「昨日はありがとう、おかげで元気出たわ、ははっ!」

 どうやら空元気じゃないようでよかった。彼女の悲しんでいる姿なんて見たくないから。

「ねえ、池田くん?」
「んっ?」
「カノジョ、いる?」

「えっなに……?」
「そうだよね、いないよね、良かった」

 そういって僕の数センチほどに顔と顔を向き合わせるように近づく日向さん。僕は少し体が熱くなった。

「私ね、きみの事、興味出ちゃった!」

 と、笑顔で彼女は後ろ向いた。

「日向さん……」
「さあ、佑月くんも、元気出してがんばろー」

 そういって嬉しそうに彼女は自分の席に着いたのだった。

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